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オレが中学だったのは、今から23年前。
それから、高校を卒業するまでスポーツ部に所属して
いたこともあって、上下の関係は中学1年のときから
イヤというほど叩き込まれた。
剣道をやれば、竹刀を投げられ・・
防具をつけた背後(死角)から、蹴られたりもした。
卓球をやれば、ネットで縛られたあげく、スマッシュの
的にされたこともある。
陸上をしていたときは、ダンベルをひざにのせての正座。
しかし、その原因は”自分”にあると思っていた。
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弱いから。
勝てないから。
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2年になった。
先輩がひとつ、卒業した。
自分も強くなった。
大会でもまずまずの成績を残すようになり
自分への”拷問”は、下級生に移った。
3年になった。
先輩は、みんないなくなった。
自分はキャプテンになった。
”拷問”の歴史に、終止符を打った。
だけど・・
なぜか成績は振るわなかった。
すべてが取り除かれて、自由になったというのに・・。
”拷問”がなくなって、クリーンな活動ができると
思っていたのに、それと同時に自分の中に”緊張感”が
なくなっていることに気がついた。
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体罰を容認することはできない。
しかしながら、ぬるま湯の中にいては、一瞬の熱湯でも
許すことはできなくなってしまうのではなかろうか?
社会において、ぬるま湯を維持することは、大変難しく
一瞬の出来事に、反発して生きていくことも難しい。
だからこそ、先生にはもっと権限を与えてほしい!
悪いことをしたときの罰は、罪ではなく、緊張感の
ない空間で、教育が成り立たつわけもない。
今回の件は、明らかに先生の過失。
しかし、そんな先生を作った親、そして先生を殴ったり
する子は、オレらの世代が作った。
本当に正しいことを教えるのは、親の仕事。
自分たちで見直していかないと、同じ事件はまだまだ
起こるのではないだろうか・・。

